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3.訪問
帥(そち)の宮は、思いがけぬうちにそっとお訪ねにとお思いになり、
昼からご準備なさり、日ごろ文(ふみ、手紙)を取り次いで持たせている右近の尉(うこんのじょう)をお招びになり
「忍んで、さる所へ行こうと思うが」
とおっしゃると、ああ、あそこだなと察する。
身分を隠した普通の牛車でそっとお出でになり、
「来ましたよ」 とおっしゃるので、
どうしたらよいだろうと困惑するけれど、「おりません」と申し上げることもできず、
さきほど昼に文のお返事を差し上げたばかりなので、こうして家にいるのに帰っていただくのも
申し訳なく、
ではお話だけでもいたしましょう と思い、
西の妻戸に藁座を差し出して座っていただく。
(女性は顏が言えないように御簾のなかにいる)
世の人の言うように、並みの方ではなく、ほんとに優美な方であられました。
いろいろお心遣いもされ、お話をさまざまにするうちに、
月が上がって参りました。
「月が明るいですね。人間も古めかしいし、いつも奥屋敷にいる身ですから、こういう明るい
ところには慣れておりませんから、居心地わるく感じます。そちら(御簾のなか)に座らせて
いただけないでしょうか。いままでやこれからあなたがお会いになるような男とは
違いますから。」
とおっしゃるので
「まあ、妙なことを、今宵だけお会いしているものと思っておりますものを。いったい
今までやこれからもないでしょうに。」
などと、とりとめもないことなどお話しているうちに、だんだん夜が更けて参りました。
2.同じ枝であなたに鳴いておりました時鳥ですよ と
帥の宮はまだ、家の外近いところにおいでになったので
この男の子が物陰のほうでなにか言いたげに居るのを見つけられ、
「どうだった?」 とおっしゃったので、
彼が歌の文(ふみ)を差し出すと、ご覧になり
同じ枝に鳴きつゝをりし時鳥(ほととぎす)声はかはらぬものを知らずや
同じ枝に鳴いておりました時鳥です、声も気持ちも亡き兄と変わりませんのをご存じか。
とお書きになり、少年に持たせて、
「このことを、人に言ってはいけないよ。軽い男のように人に思われてしまうからね」
とおっしゃって、中に入ってしまわれたそうです。
この文を少年舎人が持ってきたので、
まあ と思いはしたのですが
その都度お返事差し上げるのもと思い、とりあえずお返事はいたしませんでした。
すると続いてこんどは
うち出ででもありにしものを中々に苦しきまでもなげくけふかな
気持ちを打ち明けなければよかったものを かえって苦しいほどに思う今日です。
と歌を寄越される。
わたしはもともと思慮浅い人間ですから、たったひとりさみしく過ごす日々を空っぽのように
感じていたところで、
それで、この御歌はそのままやりすごすことができず、お返しを差し上げる。
今日の間(ま)の心にかへて思ひやれながめつゝのみ過ぐす心を
では今日のあなたさまのお気持ちのかわりに わたくしの今日の気持ちをお思いくださいませ
ぼんやりと物思いをしておりますわたくしの心を。
このようなふうにして、しばしばお歌をくださる。
わたくしもときどきお返事差し上げる。
それでわたくしの無聊(ぶりょう)も、すこしは慰められるような心地がして過ごしておりました。
するとまた文(ふみ)が参りまして、
詞書(ことばがき、歌の前置きにつける文章)などもすこしこまごまと書いてくださっており、
語らはば慰むこともありやせんいふかいなくは思はざらなん
ご一緒にお話しすることはできればお気がまぎれることもあるでしょう
わたくしがあなたのお気持ちを慰めることができないとは お思いにはならないでしょう?
とお歌いになり、「いろいろとお話申し上げたい。夕方にお伺いたしましょうか」
というお手紙なので
慰めと聞けばかたらまほしけれど身のうきことぞいふかひもなき
『生ひたる葦(あし)』にて、かひなくや
慰められるかもしれないとおっしゃってくださるのでしたら
お話してみたいとも思いますが
でもわたくしの気持ちなどはお話してもしかたのないことばかりです。
「何事もいはれざりけり身のうきは生ひたる葦のねのみ泣かれて(古今六帖より)」
何も申し上げることもできません、このとらえどころもない身の悲しみに
ただ声に出して泣くばかりですから というあの歌のように。
とお返事申し上げる。
1.同じお声か 伺いたいものです。
長保五年
ほんとうに夢より儚かった亡き弾正の宮(だんじょうのみや)さまとの日々を
ただただ想いながら日々を過ごすうち
四月十日(旧暦)も過ぎ、初夏の季節ゆえ木の陰が日々に濃くなってきて
ふだん人が見るようなところではないだろうけれど築地の上の草も青く茂り、
それをぼんやりと見るにつけても
弾正の宮さまを失った季節がめぐってきたなあと
また弾正の宮さまのことを考えているばかりでした。
そんなとき、そばの透垣の下に人の気配がいたしました。
誰かと思えば、故宮さまにお仕えしていた小舎人(ことねり)の男の子です。
故宮さまのことなどいろいろろ考えているときに来たものですから、
「ずいぶん久しくおいでになりませんでしたのね。
遠ざかっていく時を名残りおしく思いますね」
などと話しかけましたら、
少年舎人は
「これといって用事もございませんのに、たびたびお伺い申しますのもどうかとご遠慮申し上げ
まして。山寺に行ったりしておりました。
でも、なんだか寂しくてどうしようかと思いまして、
ご兄弟で似ておられますゆえ」帥の宮(そちのみや)さまのところにお伺いしてみたのです。」 と言いました。
「まあ、よろしかったこと、
でも、帥の宮さまは派手で華やかでいらっしゃって、近寄りがたくていらっしゃるとお伺いし
ますし、
お兄様のようにはお親しくできなかったのではないですか」 と申しますと、
「わたくしもそう伺っておりましたが、とても親しげにしてくださって、
『よく和泉式部のところに伺うの?』とおっしゃいますので、
『参ります』と申し上げましたら
『これを持ってお伺いして、いかがご覧になるかと差し上げておくれ』
とおっしゃいまして…」
と橘の花の枝を取り出しました。
「昔の人の」と。
(五月たつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集・詠み人知らず))
橘の花の香りが漂う時期になると、
その花を香として着物に焚きしめていた以前の恋人を想い出す)と歌われておりますが
いかが、と。
そして
「帥の宮さまにお返事をもって戻りますけれども
どう申し上げましょう」 と言うので、
言葉でお返事申しあげるのもなんだか気がすすまず、
また、亡き宮との想いをいま簡単に言葉にしてどう思われるだろうかとも思い、
では歌ででも、と
薫る香によそふるよりは時鳥(ほととぎす)聞かばや同じ声やしたると
薫る橘の香りになぞらえて故宮のことを語りますより、
同じ親御さまのご兄弟、同じお声かどうかお声をうかがいたいものです
と申し上げました。
あこがれいずる
ものおもへば 沢の蛍もわが身より あくがれいずる 魂(たま)かとぞみる
(男に忘られて侍(はべ)りけるころ、貴船にまゐろて、御手洗川に蛍のとび侍りけるをみて)
恋をしているから 沢に飛び交う蛍も
わたしの体から憧れ出ていってしまう
わたしの魂のようにおもえる。
(男に忘れられてしまっているとき、貴船神社に詣でて、御手洗川(みたらしがわ)に
蛍の飛んでいるのを見て)
恋をするにも才能が必要。
たしかに、恋はふりかかってきたり落ちてきたり、
ぽっかりとあいた穴に落ち込むようにはまりこんでしまうものかもしれないが、
きちんとした恋をするには
才能も才覚も必要だと思うのです。
アリユールという香水の名にもなっているフランス語があるけれど、
そのひとの在り様とか姿、そういうものがあるひと。
にじみでるようなうつくしい色の気配がある。
そして、きちんとした言葉で自分の気持ちを話すことができ、
機知に富み、可愛らしさがある。
ときに驚くほど大胆で策略的であり
ときに心底、無邪気。
和泉式部はそういう、稀有な恋愛の才能をもった女性であった。
ちなみに日本で彼女と双璧をなすのは、在原業平卿であろうと思うのです。
このひとの歌にも真心にも恋の駆け引きにも
どきどきする。
わたしの大好きな歌人であり
女性なのです。